「日本的美意識の探求」これこそが私の作陶のテーマです。 様々なことを感じ、思い、ときに迷い、そのテーマにたどり着くまでの私の道のりをここで少し ご紹介いたします。
話は高校時代から始まります。当時、私は美術大学の入試に必須であったギリシャやローマ彫刻 のデッサンの修練に明け暮れていました。しかしそのことにより、知らず知らずのうちに「西洋美術の洗礼」を受けていたということに気づいたのは大学に入ってずいぶん経ってからのことでした。というのも、「光と影」を描写して、いわゆる写真のようにデッサンを描くことが実は 西欧的手法であり、東洋にはそれとは異なる描写法があることに、当時の私は気づくことができ なかったからです。
そんな私が「日本美」と出会い最初に衝撃を受けたのは、芸大でのある授業でした。それは数年前に惜しくも亡くなられた稲次敏郎先生の「環境デザイン」の講義だったのです。それまで退屈なものとしか感じていなかった日本の庭園や茶室というものが、実は素晴らしい美意識に支えられているということに衝撃を覚えました。西欧の庭は、木々を整然と幾何学的に並べることで美を表 現しているのに対し、日本の庭では、木々は故意に不規則に植えられ、そこに「自然の美」を再現 しているのです。しかし木々や池、石や砂に至るまでその配置は実は巧妙に計算されているのです。ま た、茶室の柱や天井や庭窓の配置においても、西欧的バランス感覚ではとても理解しがたいよう な「不均衡の美」が存在すること・・・。私は一気に日本美のとりこになってしまったのです。
稲次先生の講義を契機に私の興味は日本絵画にも及びました。高校時代の受験デッサンの洗礼に より「西欧の立体的で写実的な表現に比べ、平面的で稚拙なもの」と感じていた日本画は、むしろ絵画としての本質を追求した表現であると考えはじめました。20世紀の西欧の絵画における 印象派をはじめとした様々な美術運動は、日本の浮世絵が手本であったことなどを遅まきながら知るに至りました。
こうして大学の四年間はあっという間に過ぎたのですが、日本美をより深く追求したい一心で迷うことなく私は大学院進級を希望しました。まだ社会に出て自らが表現者になることに興味が涌かなかったのかもしれません。その当時、私は旅行に夢中でした。「日本とは何か」との強い 追求心がそうさせたのです。異なった文化、つまり日本と異なる美意識が存在しているであろう国に赴くことで、日本美というものが「炙り出される」ように思えたのでした。
大学院は前期の2年間で飽き足らず、私は後期の博士課程へと進級しました。そこでより深く日本美の研究を進め、日本美術を生み出した日本の美意識や世界観、宗教観について考えました。 西欧の美術は、ユダヤ教やキリスト教など「一神教における神と人間の関係」の影響があると思 います。キリスト教において、人間は「荒れ狂う自然」を統治する役目として神様から任命され ています。対して、日本や他の一部のアジアなどにおいては、神といえば八百万(やおよろず) に存在し、人間は自然の一部と考えられ、自然は統治するのではなく尊敬の対象なのです。西欧 においては「美」に完全や究極を求める傾向があります。なぜなら人間は神から許され、優れた存在であるがゆえ、自然という資源をもとに加工し、より崇高な「文化」にむけて進んでゆくものなのです。対して日本では、もちろん完全な「美」の追求もありますが、しばしば「美」はあるがまま、ときに不完全をもよしとします。自然に倣えば、不完全もまた美しいと感じることができるからです。日本の庭が、西洋のように幾何学的な形をとらず不定形であり、茶道の茶碗が素朴でときに歪みがあったりするのは、このようなことに由来するのです。
博士課程を終え、いよいよ世に出る時がきました。私は、自身の興味の対象である日本美をまずはデザインの世界で表現することを考えました。西欧の価値や美意識で溢れている世の中の「モノ」をもっと日本的な美に回帰させるような働きかけをしたいという思いからでした。しかし、やがて私のなかの強い日本美に対する傾倒は「デザイン」といういわば間接的な表現手段では遂げられないかもしれない・・・と考えるようになりました。つまり「デザイン」より、個人としての思いをより強く込めることが許される「作品」が作りたいのではないかと。そんな迷いのなか、恩師である大藪雅孝先生からの言葉が私を驚かせました。「陶芸の仕事は、立体を造るという彫刻的要素、絵付けにおける絵画的要素、そして使われることによる工芸的要素もあり、造形表現の魅力に溢れている」というものでした。「灯台下暗し」と言いましょうか、身近にあった「陶芸」という、父 川尻一寛の仕事がまさに私の求めていた仕事だったのでした。
以来、私は、「土」という豊かな素材の力と炎の神様の力を借りて、作陶に明け暮れています。 私の作品に「日本的美意識」という息吹を感じてくだされば幸いです。